2008-05-28 第169回国会 参議院 国際・地球温暖化問題に関する調査会 第11号
以上、私の経験から述べさせていただいたことでありますけれども、海外のマスコミについては、先日の参考人の発言や知り合いの特派員経験者の話から推察すると、行政や業界の広報というのは日本に比べるとオープンの度合いが大きくて、この根底にはお互いフェアでなくてはならないという社会思想があるのではないかと思います。
以上、私の経験から述べさせていただいたことでありますけれども、海外のマスコミについては、先日の参考人の発言や知り合いの特派員経験者の話から推察すると、行政や業界の広報というのは日本に比べるとオープンの度合いが大きくて、この根底にはお互いフェアでなくてはならないという社会思想があるのではないかと思います。
今お伝えしましたような交通弱者のための安全な歩行空間の確保という一つの社会思想の観点からの道路の今後の計画の必要性についてどのようにお考えか、お伺いしたく思います。
○角田義一君 これはやっぱり最終的には、国家とはどういうものかとか国の社会思想だとか、そういうものとも私はうんと関係あると思うんですね。フランスのようにフランス革命をちゃんと経験をしている国と、日本は革命というのも余りなかったと思いますけれども、明治の近代国家、天皇制の国家の下で国家優先ですから、そういう考えというのは今日ずうっと尾を引いていると思うんですよ。
恐らく、国民国家や国民に対する反対概念としての市民社会や市民を措定した、戦後のゆがんだ社会思想の状況の経緯によるものと考えられます。言うまでもなく、近代国民国家の成立なしに市民社会の法的成立基盤は存在せず、国民たるの資格なきとき、市民の権利保護は望むべくもないのであります。例えば、国籍なき難民の権利をだれが適切に保護し得るかを考えるとき、国家なき民の惨状は察するに余りあるものがあります。
特に、国民が見詰めている政治の姿はどうなのだということを申し上げましたけれども、そういう社会思想からくる規範意識の低下というものがあるのではないかと。犯罪を犯した子供には、遅まきながら、自分も他人も助け合って、みんな大事な社会の構成員なのである、存在なのであるということを丁寧に教育しなければならないと思います。
人の死は社会思想や文化と無関係ではあり得ません。脳死の判定基準や死に関する法律についてはコンセンサスが得られると思いますが、人の死については最終的には個人の価値観、死生観にかかわる問題なので、いろいろな考え方をする人があっても不思議ではありません。私が強調したいのは、自然科学的事実を幾ら積み重ねても人の生死を分かつことはできない、こういうことであります。
ところが、社会思想に関する問題に関しては、その選択肢によっては世論操作をすることができるのではないか、そういう危険性が出てくるのではないか。生物、キリンの生態をアフリカヘ行って取材できないからそれを貸してくれといって、それはするわね、できる。
イミダスというもので、私は社会主義ということと社会思想に重点を置いて書いてまいりました。その中で社会主義インターというものが三百八十七ページに書いてございます。世界の主要な資本主義社会を改革しようとする政党が入っておりまして、我が国ではここに書いてありますとおり日本社会党、日本民社党、二つが加盟しております。 昨年の三月、オーストラリアのシドニーで社会主義インターの首脳会議が開かれました。
自分のことを言ってはまことに僭越なんでありますけれども、私は学位を三つ持っていますが、そのうちの一つの文学博士はイスラム教の社会思想という論文でいただいたのであります。なぜ日本ではイスラム教の研究がはかどらないかというと、大学に講座がないものですから、学位を取っても教授になれない。その点が諸外国と非常に違うので、諸外国の場合は学位を取れば必ず講座があるからそこで教授になれるということです。
国会の中には先輩である前島議員がいらっしゃるように、障害をお持ちの方々がこうやって登場することによって、障害を持っている方と健常者との間の共生という社会思想というものがだんだんできつつあるし、国民に対しての思想啓蒙や啓発にはよい刺激を与えているというふうに実は考えているわけでありますし、そのことがなされなきゃならないというふうに考えている者の一人であります。
社会保障というのも一種の社会思想と申しますか、そういう思想運動の面がなければうまく私は根づかないという感じがするわけでございます。この点につきまして、もう一度厚生大臣のお考えを伺いたいと存じます。
一九二〇年、ちょうど六十七年前になりますけれども、御承知の森戸辰男さんの事件が起こっておりまして、彼は東京大学の経済学部の教授で、クロポトキンの社会思想の研究、これが国体に反し、国家存立の基礎を侵害するということで休職になり、裁判の結果三カ月の禁錮ということになっています。
○国務大臣(中曽根康弘君) 国によってみんな社会制度や社会思想というのは違いますから、一概にほかの国のことが全部いいとは言えません。その国その国の自由があって、自主的におやりになることであると思います。しかし、一般的に見て公職にある、しかも高度の地位にある人が資産公開をするということは、私個人としては好ましいことであると思います。
あるいは社会思想だとか哲学とかいうものだけで行革は取り組めるものではない。フリードマンが必要であるといういまの発言、しかし、フリードマンオンリーでないという、そこをやはり私たちも求めていきたいと思うのです。
○竹本委員 判断力は、私に言わせれば、一つの社会思想的な立場を持たないとこれからの複雑な経済は判断できない。ただ、情報というものは大体において右の情報と必ず反対する左の情報が入ってくるのです。それを判断するのはその政治家なら政治家の見識というものだから、これは内閣の見識の程度の問題で、私は判断力はおっしゃるように非常に足らないと思うのです。
社会科学概論が九十三点、二単位、化学が九十点の二単位、社会思想史が八十点の四単位、社会政策が八十五点の四単位、景気変動論が八十点の四単位、法学がただいま申し上げました九十五点、優、四単位、行政法が七十三点、四単位、統計学八十点の二単位、法学特講が九十点の二単位、哲学が九十点の四単位、経済学特講が九十五点の四単位、法思想史が八十点の二単位、保健体育が七十五点の二単位、憲法が八十一点の四単位、日本経済論
(拍手) 私は、谷口先生の信奉される社会思想や政治理念に対しましては、遺憾ながら相いれないものがあったのでありますが、しかし、芸術に親しみ、漢詩を愛し、文学に造詣のまことに深かった谷口先生の豊かな人間性とその真摯な政治姿勢に対しましては、常に限りない敬意を払って今日に至ったものであります。
ですから、労働大臣は局長以下を叱吃激励して、八木一男やほかの熱心な委員のおっしゃるように、給付期間は完全にやる、そうしてもう一つは金額を上げる、それで諸条件をみんなよくする、そうしていまの出かせぎ労働者の打ち切りなどということはやらないで、お年寄りを優遇するという、社会保険の思想を貫くならば、片方がかけた保険料よりもらう保険金が多いというような社会思想を、こっちのほうの一般失業保険のほうでは社会保障思想
社会思想の問題になってくる。五万三千人の乗客が上尾の駅であれだけ騒ぎをしたけれども、幸いにして職業的なアジテーターがいなかったから済んだのです。五万三千人といえば、女も入っていますけれども、陸軍の兵力なら三個師団です。その兵力を巧みな扇動隊がいて扇動して、あれがわいわいあばれ回ったらたいへんなことになる。
こういう意味で、現在先ほど斎藤理事から申し上げたような四十五年度末の実績が出てくるわけでありますが、おそらく四十六年度においては、そういう社会情勢を踏まえますと、私自身の感触では、たとえば、カラーテレビジョンの不買運動とか、いろいろな問題があって、また、社会思想の混乱の一端を受け持つという場も出てきまして、これは数字をまとめなければわかりませんが、必ずしも上昇傾向にあるのではないような印象を、私は予感